わたしの担当は①

ジャニオタをやっていると間違いなく聞かれる質問の1つに"担当は誰か?"というものがある。
要するにメンバーで誰が一番好きかという問いで、聞かれなくても答えは持っていて、自己紹介の一部になっているやりとりだ。
"担当"という名称はジャニーズ特有のもので、この呼び方がとてもしっくりきている。
ただ好きなだけじゃなくて"担当"している、というところに、ファンとしての重みというか覚悟を感じる。
では今わたしの担当は誰かというと、最近ようやく出した答えが"担当はいない"というものである。

わたしがジャニーズというものを知ったのは5歳頃だと思う。
当時"木曜の怪談 怪奇倶楽部"という番組が流行っていて例にももれずわたしも見ていた。
恐らくそこに出演している男の子がかっこいいという理由から、母親と一緒にとある番組を見始めたのがすべての始まりだった。
番組名は"愛LOVEジュニア"。
そして怪奇倶楽部に出演していたかっこいい男の子の名前は滝沢秀明今井翼
当時ジャニーズJrの中でも絶大な人気を誇っていた。

程なくして、小1の頃にV6がデビューした。
わたしは三宅健くんを好きになった。
歌番組は必ず見て、健くんが出演していたドラマ"保健室のおばさん"は毎週放送を心待ちにしていた。
初めて買ったジャニーズのグッズはカミセンの下敷きと健くんのうちわだったと思う。
この頃はまだ担当という言葉も知らずぬくぬくと過ごしていた。6歳前後のことだから当たり前である。

3年後。小4。わたしの中で大旋風が起こった。
嵐のデビューである。
初めて5人の姿を見た時から、わたしの目には抜群に輝いて見える人がいた。
それが櫻井翔だった。

"しょう"という名前にどこか聞き覚えがあると思ったら、上記の番組"愛LOVEジュニア"で目をつけていた男の子だった。先見の明があると幼いながらに自慢していたのを覚えている。
ちなみに母親からはとんだヤンキー趣味だと呆れられた。

人生で初めて買ったCDは嵐の1stアルバムだった。(V6は友だちから借りていた。嵐のシングルはなぜか買っていなかった)
当時CMキャラクターに起用されていたぷちをせっせと買いシールを集め、Mステは欠かさず録画し振りを友だちと覚え、なぜか小学校ではお昼休みにテレビを見れたため、CMで嵐が出ようものなら叫びまくっていた。
初めて覚えた洋楽は"君の瞳に恋してる"。
これは嵐のファーストコンサートで翔くんがソロ曲として起用した曲だった。
初めて見たライブビデオも嵐、初めて書いたファンレターの相手も翔くんだった。
ジャニーズの用語を覚え出したのもこの頃。
もしかしたら1度くらい自分のことを"翔担"と言っていたかもしれない。しっくりこないけど。

それから2年後。小6。
嵐に出会った時を大旋風と例えるならば、今度は地殻変動が起きた。

同じくジャニオタの親友から"新しいグループができたらしい"と雑誌を見せてもらった。
それがKAT-TUNだった。
おそらくわたしにとって最初で最後の担当に出会ってしまった。

長くなりそうだからいったんここで切る(^o^)おい(^o^)