わたしの担当は②

前の記事で”初めて嵐を見たときに櫻井翔くんだけひときわ輝いて見えた”と記載した。
何も誇張はしていない。わたしの目には間違いなくそう映っていた。
本当に本当にかっこよくて、台風ジェネレーションの時なんて神がかってたし、感謝カンゲキ雨嵐の時は王子様かと思った。
今でこそ高学歴ジャニーズが増えてきているけど、その第一人者は間違いなく翔くんだった。
あの顔で、しかも慶應
完璧だと思った。実際ほぼ完璧だった。
ただ、残念だったことが1つだけあった。


彼はバク転ができなかった。


当時わたしの好きな人の条件の中に”運動神経がいいこと”という項目があった。
その条件を翔くんはクリアできなかった。
今になって考えると彼はサッカーもやっていたし、ダンスもできるんだから人並み以上の運動神経は持っていたと思うし、そもそもわたしは何様なんだという話だ。

でもこの時は”ジャニーズなのにバク転ができない=運動できない”という方程式が出来上がっていて、さすがにそれだけで翔くんを嫌いにはならなかったけど、ちょっと残念だなとは思っていた。

そんな時に、友だちからKAT-TUNというグループを教えてもらった。
この辺の記憶がどうも曖昧だが、当時テレ朝で"裸の少年"というこれまたジャニーズJr主体の深夜番組があり、録画して見ていた。
(今思うとタイトルからしておかしいし、内容もところどころおかしかった。
CPありきで見ていたらとんでもない番組だったと思う)
そこにはのちのKAT-TUNメンバーも全員出演していて、存在を知ったのは裸の少年が先か、友人から教えてもらったのが先か、いまいち覚えていない。多分ほぼ同時だったんだと思う。

覚えていることといえば、中丸を見て"少し翔くんに似てる"と思ったこと、そしてそんな印象を受けながらも、KAT-TUNに対して翔くんを見た時のような衝撃は全く起きなかったということ。

(^o^)

そしてまぁ、せっかくだからこの中だったら誰がいいか決めようということになって、最初は中丸を選んだ。理由は上に述べたとおり。全く輝いては見えなかったけど。

でも少し経って気づく。

"この人バク転できなさそう...."

危なかった。
同じ過ちを二度繰り返すところだった。

これはいかんと、もう一度メンバー全員を見てみる。
そこで1人がわたしの目に留まった。

"あ、この人ならできそう"

顔もまぁまぁかっこいいし、この人にしようと勘で決めた。

その人こそが赤西仁であり、わたしが赤西担になったきっかけだった。ひどいな。

まず昔の自分は全力で中丸に謝るべきだとも思ったけど、実際彼は案の定バク転ができなかったので謝るつもりはないです。
中丸に対する扱いは昔からこんな感じでした。

続きます(^o^)

わたしの担当は①

ジャニオタをやっていると間違いなく聞かれる質問の1つに"担当は誰か?"というものがある。
要するにメンバーで誰が一番好きかという問いで、聞かれなくても答えは持っていて、自己紹介の一部になっているやりとりだ。
"担当"という名称はジャニーズ特有のもので、この呼び方がとてもしっくりきている。
ただ好きなだけじゃなくて"担当"している、というところに、ファンとしての重みというか覚悟を感じる。
では今わたしの担当は誰かというと、最近ようやく出した答えが"担当はいない"というものである。

わたしがジャニーズというものを知ったのは5歳頃だと思う。
当時"木曜の怪談 怪奇倶楽部"という番組が流行っていて例にももれずわたしも見ていた。
恐らくそこに出演している男の子がかっこいいという理由から、母親と一緒にとある番組を見始めたのがすべての始まりだった。
番組名は"愛LOVEジュニア"。
そして怪奇倶楽部に出演していたかっこいい男の子の名前は滝沢秀明今井翼
当時ジャニーズJrの中でも絶大な人気を誇っていた。

程なくして、小1の頃にV6がデビューした。
わたしは三宅健くんを好きになった。
歌番組は必ず見て、健くんが出演していたドラマ"保健室のおばさん"は毎週放送を心待ちにしていた。
初めて買ったジャニーズのグッズはカミセンの下敷きと健くんのうちわだったと思う。
この頃はまだ担当という言葉も知らずぬくぬくと過ごしていた。6歳前後のことだから当たり前である。

3年後。小4。わたしの中で大旋風が起こった。
嵐のデビューである。
初めて5人の姿を見た時から、わたしの目には抜群に輝いて見える人がいた。
それが櫻井翔だった。

"しょう"という名前にどこか聞き覚えがあると思ったら、上記の番組"愛LOVEジュニア"で目をつけていた男の子だった。先見の明があると幼いながらに自慢していたのを覚えている。
ちなみに母親からはとんだヤンキー趣味だと呆れられた。

人生で初めて買ったCDは嵐の1stアルバムだった。(V6は友だちから借りていた。嵐のシングルはなぜか買っていなかった)
当時CMキャラクターに起用されていたぷちをせっせと買いシールを集め、Mステは欠かさず録画し振りを友だちと覚え、なぜか小学校ではお昼休みにテレビを見れたため、CMで嵐が出ようものなら叫びまくっていた。
初めて覚えた洋楽は"君の瞳に恋してる"。
これは嵐のファーストコンサートで翔くんがソロ曲として起用した曲だった。
初めて見たライブビデオも嵐、初めて書いたファンレターの相手も翔くんだった。
ジャニーズの用語を覚え出したのもこの頃。
もしかしたら1度くらい自分のことを"翔担"と言っていたかもしれない。しっくりこないけど。

それから2年後。小6。
嵐に出会った時を大旋風と例えるならば、今度は地殻変動が起きた。

同じくジャニオタの親友から"新しいグループができたらしい"と雑誌を見せてもらった。
それがKAT-TUNだった。
おそらくわたしにとって最初で最後の担当に出会ってしまった。

長くなりそうだからいったんここで切る(^o^)おい(^o^)

今ここで綴ることがあるとすれば

2015年10月13日火曜日。
今日は、ひょくの入隊日です。

早く帰ってくるまでのカウントダウンをしたかった自分にとって、寂しい云々よりも、ようやく来たかというか、この日を迎えてなんだか晴れ晴れした気持ち。
そういう意味ではいつかいつかと根拠のない噂にビクビクしていた2月3月が一番不安で、漠然と7月辺りにはいないんだろうと思っていたから、その後は十分すぎるくらいのオマケを貰った気分だった。
(まさかエイネにまで来るとは思わなかった(本音))
だから自分の中では後ろ向きな気持ちはなくて、かえって清々しくて。

そんな中でひょくに何かを伝えるとしたら。
体に気をつけてとか、また会おうねとか、それももちろんなんだけど、もっともっと心の奥の部分を伝えるとしたら。


飽き性で小さい頃から何をやるにも中途半端で、唯一ずっと好きでいられたものがジャニーズで(それかよ)、その中でも一番長い間好きだったグループがKAT-TUNで、一番長い間好きだった人が赤西仁で。
例えば雑誌の切り抜きをしたり、数少ない出演していたテレビを録画したり、ジャニショに行って生写真を買ったり、時々コンサートに行ったり、それだけで楽しくて幸せで。
この先もずっとずっと好きだって信じて疑わなかった。
それが、大人になるにつれていい思い出になって段々離れていくならともかく、失望して離れていくなんて思ってもみなくて、その原因がまさか自分の愛してやまなかった担当なんて本当なんの罰だよっていう(大声)
9年前の突然の留学発表から帰ってくるまでの半年間、5人で出したシングルは聴けなくて、ちょうどアルバムの特典だったYOUのPVを縋るように観て、2枚目にあった6人のデビュー前の曲たちを泣きながら聴いて、いつ戻ってくるのか、そもそも戻ってくるのかも分からなくて光が見えなくて、考えるだけで心臓痛いし部活もしんどかったしあの頃のわたし笑えてたのかなって今になって思う(真顔)
人生で一番冷たくて暗くて長い半年間だった。
だからこそ帰ってきた時は緊張が一気に解けて本当に嬉しかったしコンサートも泣いたし、これでもう心配ないと思ったらまさかここで終わらないとは。
そこからの彼の態度はお世辞にも良いと言えなくて、やる気なさそうに、どこか遠くを見ている感じで。
なんで?って悲しくなりながらもそんな赤西仁にがっかりして、裏切られたとかは思っていないけどどこか失望して、ちょうど周りの環境が変わってきた事と重なって、徐々に彼らから離れていって。
程なくして仁くんがグループを脱退した時もどこかで冷めてて。
そこからしばらく彼らの曲も、彼の曲も一切聴かなくなって、あんなに好きだったグループなのに、こんな呆気無く気持ちが離れちゃうものなんだってちょっと胸が痛くて。
彼らのことをたまに思い出すことはあっても、悲しいとか暗い気持ちが先行して辛さが勝っちゃって、思い出したいとも思わなくなってきて。

でも、ひょんな事からすじゅを知って、ひょくを知って、ウネを知って。
ひょくを、ウネを知れば知るほど、好きになればなるほど、あれ、この気持ち知ってるなって、しまいこんでいた気持ちが見え隠れしてきて、KAT-TUNというグループを、仁亀というシンメを、赤西仁という人を思い出さずにはいられなくて。
一時期
”すじゅが羨ましい。なんでKAT-TUNはこうなれなかったんだろう”
って思いが強くてちょっと辛い時もあったんだけど、途中からそれも超えて、関心をなくした(これ以上傷つかないために必死になくそうとしていたっていう方が正しいのかもしれない)彼らの事、しかも悲しい記憶のもっともっと奥にあった、楽しくて幸せでキラキラしていた気持ちも思い出させてくれた。
どこか不思議で、彼ら関連で暗い気持ちになった時は必ずといっていいくらいひょくやウネが温かい気持ちにしてくれた。
守ってくれてるのかなって勝手に思っていたよ。

きっとだけど、ひょくを、ウネを好きにならなかったら、芸能活動を再開した仁くんに対してあんなに素直に喜べなかった。
彼らの事で悲しい出来事があっても悲しいって素直には言えなかった。
4人になったKAT-TUNのコンサートに行きたいという気持ちと実際に行く勇気は出てこなかった。
今の彼らの形を、ちゃんと受け止めようって思えるようにはならなかった。
大げさじゃなくて、ひょくが、ウネが、わたしの大事な思い出を蘇らせてくれた。

だから、今わたしがひょくに伝えるべき言葉があるとしたら”ありがとう”しかない。

いつもいつも楽しくて幸せな気持ちにしてくれてありがとう。
いつもいつもわたしたちの事を考えてくれて温かい言葉をくれてありがとう。
わたしの中の凍っていた部分を溶かしてくれて、素敵な宝物に戻してくれてありがとう。


メッセージにも書いたけど、わたしにとってひょくはお日様でもあるんだよ。
ひょくを見ると、いつも温かい気持ちになるの。
心がぽかぽかしていると、悲しいことや辛いことがあっても、忘れるんじゃなくてちゃんと受け止められるようになった。
すじゅを、ひょくを、ウネを好きになって、毎日がもっともっと楽しくなったんだよ。
いつもありがとう。だいすきです。

じゃあ
”体に気をつけて”
”また会おうね”

PS 書いている途中に知ったんだけど、どうやら9年前の今日は仁くんの留学記者会見があったみたい。
あの絶望の淵に立っていた日から9年後、同じく大好きな人がしばらく離れてしまうのにこんなにも清々しい気持ちで見送り、この文を書いています。
偶然とはいえ、同じ日なことに縁を感じてちょっと笑っちゃったよ。ありがとうね。

とあるジャニヲタけーぽヲタの理想の1日

数日前に書いた#とあるジャニヲタの1日
に関する記事。
発信元のあややさんの1日はこんなかんじでした。

驚いたのが、本人もブログに書いているけど睡眠をがっつり取っていた点。
勝手に超ショートスリーパーかと思っていた。
そしてスーパージャニヲタタイムを確保しながらも、ちゃんと運動の時間もある。すごい。

きっと集中力があって、仕事とプライベートのメリハリが付けられているんだろうな。
少し前までなかなかクズな生活態度を送っていたので心底見習いたいと思った。

理想の生活サイクルはこんな感じ

0:00〜6:15 睡眠
6〜7時間が自分のベストな睡眠時間だと分かってきた。

6:30〜7:20 メイク&ご飯
メイク自体にはそこまで時間がかからないけど、髪をブローするのにそれなりの時間を要する。メイクしてブローしてドライヤーしてご飯食べ終わったらハミガキしながらカーラーを外して準備完了
(ちなみに起床から準備までに空白の時間があるが、本来寝起きが悪いので15分はグダグダしながら服を選ぶ)

7:30〜8:45 通勤
長い。
家から最寄りの駅までチャリと徒歩で15分+
電車時間50分+駅から会社まで10分
長い(2回目)
ブログはよくこの時間に書いている。
本も十分読める時間だけど、座ったら眠る癖がついてしまった(特に行き)
帰りだけでも読んでみようかな。

8:50〜12:00 銭を稼ぐタイム(仕事)
本来始業は9:30だからこんなに早い時間に来る必要はないんだけど(うちの会社(特に我が部)は言葉通り始業時間に間に合えばいいというスタンス)朝少し早めに来た方が静かで集中できるし頭の整理もできるということに最近気づいた(入社4年目)
無理せず週に2回から始めたい。

稼ぎがなければヲタクはできぬ
というあややさんの言葉を胸に刻もうと思う。

12:00〜13:00 ランチタイム
一人で食べたり、会社の人と食べたり。
基本は一人でゆっくり食べる。
コンビニで買う時もあれば外食の時もあり、たまにお弁当持参の時もあり。
節約をしたくてお昼ご飯の予算について悩んでいる最中。
幸か不幸か会社の周りには和洋中問わずご飯屋さんがひしめいているので誘惑が多い。
一人の時はTwitterやLINEをしながらしばしヲタクタイムを過ごす。

13:00〜18:30 銭を稼g(略)
終業時間がどうも曖昧で、一応定時は18:30なんだけど17:30から帰っていい。
少し前までは定時に帰れるなんてまずなくて、基本20時すぎ、下手したら終電ギリギリの日も一定数あったけど
最近少し早く出勤するようになった(以前は遅刻ギリギリ)かつ
”どうせ明日も会社来るし”
という魔法の言葉を手に入れて気が楽になり、19時過ぎで帰る日も出てきた(ガッツポーズ)
この調子で定時上がりも増やしていってメリハリをつけていきたい。

20:30 帰宅
何度も言うけど通勤時間が長いため、どんなに頑張っても帰宅は20時前後が限界という。
一人暮らしを考えなくもないけど、いかんせん居心地がいい(怠惰)

21:30〜22:50 スーパーヲタクタイム
夕飯を食べた後のわたしを待っているのは最強の時間。なんでもやりたい放題の時間。
動画見たり本読んだり紙の日記書いたりLINEしたり。
韓国語の勉強を朝か夜に入れたいんだけどどっちにすべきか。

23:00〜23:50 優雅タイム
さっきのスーパーヲタクタイムと何が違うんだと言いたくなるけど、要はお風呂やらパックやらストレッチやら骨盤体操やらする自分の体を労わる時間。
ちなみにここで髪をブローしておくと次の日の仕上がりが違うことにこれも最近気づいた(ミディアム2年目)

どんなに緊張していようが具合が悪かろうが”寝つけない”という言葉はわたしの辞書の中にないので、お布団にさえ入れば寝たも同然。
3分後の記憶もない。


こんなところかな。
どうにか定着させたいです。

わたしのめざすべきところとは

わたしが一番積極的に活用しているSNSといえば問答無用でTwitterだ。
大学3年の時に始め、かれこれ5年ほど使っている。
当初は友人とのコミュニケーションツールとしての役割だったが、ここ3年ほどは間違いなくヲタ活における情報ツールと化している。
中でも今どっぷり浸かっているSUPERJUNIORにここまでハマるきっかけは間違いなくTwitterだ。これさえなければ、と時々思っている(本音)

人によっては普通の友だち用、ヲタ活用、ヲタ活用でも対象物によってアカウントを使い分けているケースもあるみたいだが、わたしは全て同アカウントで進めているので情報がごった返している。普通の友だちにはいよいよ引かれ、会うたびになんとかしろと説教タイムが始まる。

今ではだいぶ落ち着いたが、元来根っからのジャニヲタのためジャニーズ系のアカウントもフォローしている。

中でも割とチェックしているのはあややさん。
一ジャニヲタながらフォロワーが30,000人を超える謎のビッグアカウントだ。

文章も読みやすいし、共感できるところもある。
そして定期的に実施してくれるアンケート。これがなかなか面白い。
直近で行った
#とあるジャニヲタの1日
というアンケートはまさにわたしの知りたいものだった。
ヲタクを全力でしながら、でも仕事もきちんとこなすOL。これがわたしの目標。
時間の使い方が本当に下手くそだから、なにか参考になればと思って夢中になって読んだ。

次の記事で、感じたこと、あとは自分の1日を書いてみようと思う。

整理整頓は金なり

最近なんだか変だ。
すこぶる調子が悪い。
体というより、心のバランスが取れていない。

仕事もなかなか早く終わらず、資料はデスクに山積みになって、整頓されていない場所での仕事は捗らず、そして今日も早く終わらずの負のスパイラル。
なんならお財布の中もぐちゃぐちゃで更に訳が分からなくなる。
自分が何にいくら使って残りどれだけ使っていいのかとか、諸々のことが頭の中で整理ができていない状態だと仕事も遊びも中途半端になる。

つまりは整理整頓ができていないのが諸悪の根源だということは薄々どころか盛大に気づいている(^-^)

もともと大雑把な性格で整理とか苦手なはずなんだけど、年を重ねるごとに究極の綺麗好きである母の血が色濃く出てくるようになったのか、前までは気にならなかったところまできれいにしたくなってきている。良いのか悪いのか。いや、良いんだろうけど。

母が昔から口酸っぱく言ってきている言葉に
”時は金なり”
という諺がある。

意味なんて今更ここで説明するまでもないのだけど、社会人になって本当に身にしみて感じている。
優先順位をつけて、何をいつまでにどこまでやるべきかとか、そのためには今どうするべきなのかとか、時間は限られているのだからいかに効率よく動くか。昔は全然分からなかったけど、なんという有難い言葉なのか。早く気付けよ自分。
そして優先順位をつけるためには当然頭の中がクリアになっている必要があって、そのためには.....

(・̆.・̆)

やっぱり整理整頓だな。
まずはお家に帰ったら眠くても先月分のレシートは捨てよう、そうしよう。
今月こそはおこずかい帳書く。

あ、書こう

9/15。
1か月後は、わたしの愛してやまないグループSUPERJUNIORのメンバー、ドンヘのお誕生日であり、彼が入隊をする日。
その3日前は、中でも愛おしくてたまらないメンバー、ウニョクの入隊日。
このタイミングで、久しぶりにブログなんてものを開設しました。

気が向いた時に、書きたいことを書きたいように綴ります。